まんだん
『巫女姫物語』関連過去ログ
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 一つ残された<19>collection長編 
 そもそも<19>collection−ナインティーン・コレクション―というタイトルが私は気にいらない。何が気に入らないって、山かっこが気にいらない。じゃあ山かっこをはずせばいいじゃないかという話になるが、はずしてしまうと今度はコレクションが十九あるという意味になってしまう。違う。それで仕方がないから未だにあのタイトルのまま、開設当時から置いている。
 早い話、二十一、二の頃に一度創作の筆を折ったのだが、それ以前のものをまとめて、短編を除外し、全部ひっくるめてコーナーにしてあるだけなのだが、一向他にいいタイトルが思いつかない。正確にいうと、十五歳から二十一歳まで書いた作品群なのだ。
 何かいいタイトルはないだろうか。
 で、その<19>collectionに関しての話である。小説は断続的にしか更新されなくなって久しいのだけど、実は過去の作品で一つ、長篇を更新し忘れている。し忘れているといえばきこえはいいが、はっきりいってしたくなかったからしなかっただけ、今現在それをさてどうしようと思っているかというと、物理的にできるかどうかを別として(ファイルが開くかどうかあけてみないとわからない)、掲載しようかなと思っているのである。
 なぜかというに、獣木野生というマンガ家をご存知か。
 元は伸たまきと言った。よほどの人でないと知らないが、この人の根強い人気作品に「パーム」というシリーズがある。先日この人のホームページを見に行ったら、そのパームシリーズに書いたものに自身がランク付けをし「読まなくてもいい」「いやいや書いた」というのがあってたまげてしまった。読んだ私としては「そんなひどい作品だったか?」というレベルのものなのだけれども、本人は気に入らないらしい。それでも読者はそうとは限らない。
 そうだ、本人の気分でせっかく生まれてきたものに日の目を見せてやらないのもかわいそうじゃないか、と、ようしいっちょ探して掲載してみるか、という気に今回なった。
 出来が悪いというよりも、何よりもこれは「文学そっちのけのファンタジー」なのである。
 書き上げたいきさつについては、高校時代の演劇部の友人が関係しているのだけれども、これは掲載するならば書くことにしよう。
 で、ただ「文学そっちのけのファンタジー」なんて珍しい分野だから、気に入らないから、というだけでなくて、時代考証で掲載がひっかかっていたのだ。
 「時代考証」というからには現代ではない。戦国時代である。で、タイトルを「巫女姫物語」というのだが、まあこのタイトルをそのまま使うかどうかは別として、友人の書いた脚本のストーリーがあって、それが最後に来るように話を起こし、前後に分けた、その前編で、とある伝説を下書きにして書いた小説なのである。
 それで、時代考証で何がひっかかったかというと、「巫女」というものの位置づけで、これは山間の神社に所属する、いわゆる特殊能力(霊力といってもいいけど)を持つ巫女の話で、時代が戦国時代なのである。舞台は一応架空で勝手に作り出した場所なのだけれども、この戦国時代や中世の山村巫女の資料がない。出てくるものは大方遊女の資料ばかりである。私の探し方が悪いのかもしれない。
 古代の巫女の資料はある。村であれば社で神につかえ、神おろしをし、時には村の男たちに性教育を施したりしたらしい。そこから定住せぬものと定住するものとに発達していって、定住せぬものが遊行婦女(うかれめ)などに発展していき、売笑すると同時に民衆に歌舞を提供した芸道の女たちになっていったということらしい(専門でないし読む資料によって若干違っているので断言できない)。
 今回時代考証で必要とするのは山間村落の巫女が当時どうであったかということで、民俗学者柳田國男のものなど読んでいると、もしかしたら古代の伝統をある程度そのまま踏襲したりしていたのではないかと思ったのだ。でも話の性質上、巫女が神の嫁になり村の男たちが神となって婚姻の神事、つまり性交を行うとか、そういうものは書くわけにはいかない。第一現在の巫女には根強い高潔なイメージがある。(神に仕える=「聖職者」のイメージが相当根強いからだろうか。)
 しかしまあ、作品の設定そのものが「特別」というふうに位置づけた巫女なので、完全に架空と位置づけた上で書いても問題はないかと思う。が、社会的地位だとか見方だとかいうふうなところである程度考慮は必要だろうかとも思う。まだ掲載するか、できるか、というところも微妙なところなので、どなたかわかる方がいらっしゃれば教えていただきたい(更新がはじまっても)。
 とりあえず、今は架空に重点をおいて点検し、掲載できるなら掲載する、と断るにとどめる。

 (2008年編集時後略)
Date:2003/06/25(Wed) 21:00 No.13


 「巫女姫物語」の(一)を更新しました。 
 『巫女姫物語』を更新しました。
 冒頭に「旧友K.K.に捧ぐ」と入れています。
 本人に「いらんわ」と言われたりして。
 『巫女姫物語』はトップページに書いてあるとおり、元々は友人が高校時代に書いた演劇脚本から派生したストーリーです。友人はその脚本を、夏目漱石の『夢十夜』の第五夜から話をふくらませて作ったそうなんですが、なんでも「あんな、女が戦場に男のためにかけていくようなことはありえない!」と言うのが彼女の発想の原点になったそうです。それに漱石が「あまのじゃく」を「天邪鬼」ではなく「天探女」という当て字をしていたことからストーリーを練り上げていったとか。
 二人芝居で大阪大会まで進んだ脚本でした。
「こんな純愛あるわけがない」と彼女は言い張ったんですが、私と別の友人は、
「いや、あるやろ」と却下してました。
「あたしはないと思ったんやあ。」
と彼女は言い張っていたのですが、それで一つ本ができたのだから立派です。
 結局その後、後日談とかそれ以前の話とか小説にしたら面白そうだなあということになり、できあがったのはその前の話。しかし、おそらく友人の話がラストに来るようにつくったものの、友人の作った話には正確にはつながっていかないでしょうね。
 「あの純愛はありえる」と私は言い張っていたので。
 しかし、この劇に使用したBGMが『風の谷のナウシカ』のサントラで、特に「風の伝説」と「風・荒野」をしつこいくらいかけていたせいか、二、三日前から頭の中でそれがぐるぐる回っています。「また使うんか、これ。これしか知らんのか。」と言ってたぐらい、『風の谷のナウシカ』と『アリオン』のサントラからひっぱてきてはBGMにしてましたね、彼女は。早い話久石譲が好きだったんでしょうね。メジャーではない頃の久石氏が作った効果音集まで知ってましたから。
 
 『巫女姫―』自体は、十二年ほど前に書き上げていた、その前編を今回更新していきます。後編につきましては、大筋だけ練って放り出したので、もし書くのならまた練り直さなければいけないのでしょうが、たぶん書かないんじゃないでしょうか。いろいろ調べなおさないといけないし、ジャンルがあまりなれないものなのでうんうん言いながら書かなければいけないし。
 確か後編の方に巫女としての遊女(江戸期のそれではない)が出てきてたはずです。もう記憶が朧ですね。
 一応当時のファンタジー小説を意識して書いているつもりなんですけど、改行することにたいへん罪悪感を感じていた当時の私は、それほど踏襲していません。確か効果音も、
 ザシュッ
 とかいって一行で書かなければいけないんですよ。(でもちょっとは使ってたかな?)
 いろいろ時代背景とか、決まりごととかも調べたんですが「使えな〜い」と、ほとんど使ってません。ちなみにストーリーの設定も人物も信濃の伝説のエピソードをちょこっと借りただけで全部架空のものです。そんな武将いたっけ?とお怒りになりませんように。戦国時代もいつのどの戦国時代か怪しいところ。
 ヨーロッパ発の『ロード・オブ・ザ・リング』、読んだことはないし見たことはないんですが、予告編などを見ていると相当いろいろとあの地方の魔法について調べてるんでしょうね。あしべゆうほというマンガ家のマンガ『クリスタル☆ドラゴン』も『ロード・オブ―』にかかる作品で、あれも良く調べてるなあと思うんですが、国や風土は違えど、日本とこんなに離れていても、不思議にまつわる伝説や巫女なんかの基本となる考え方はかなり近い考え方があるんだなあ、などと思います。
 たとえば、どれほど正確に調べられているかは別として、『クリスタル☆ドラゴン』の中に柱が整然と羅列してあるところをベルセルク・ソリルが言われるとおりに角を曲がり、進みして歩きまわるうちに傍らからみたら同じところを行き来してるように見えるのだけど、決まった方角決まった距離だけ進めば最後に目的の地、向こう側への入り口が開くというエピソードがあって、それは夢枕獏の『陰陽師』の中にも都の中を晴明が指示したとおり走り回っているうちに、向こう側の世界に分け入っていくという描写があって、やはり考え方は似ているのかなあと思ったりします。同じ人間ですし。
 でもこのエピソードって一種の真理ですよね。
 最近生きていて、平坦にみえて何の意味もない日常でも「そこ」を必ず通過してクリアしていかないと次の段階に進めない、ゴールが見えないということがよくあると思いますから。不思議の世界も決して日常の論理と離れたところにあるわけではないんでしょうね。
 
 先に断っておきますと、村の長になる人間というのは本当は身体的に手が不自由とか足が不自由ではいけないんだそうです。健康でもなければいけない、と。長老が足をひきずっていますが、この先確か断り書きが出てきたはず、もう少しお待ちを。
 また巫女姫に自由がなさすぎるというエピソードが出てきて、それは一種の虐待にも思えますが、これもまあ話の中で(確か)解決されていたはずなのでしばしお待ちを。ちなみに神に仕えるこうした人たちを虐待して恨みを買うと柳田國男「巫女考」にも「巫に恨まれて家を滅した話は中世にはたくさんある」とあるとおり、そのままでは通されないらしいです。
 日本の神というのはキリスト教の「許しなさい」というような神と違ってたたるんですな、大事にしないと(でも『クリスタル―』の英国の地の信仰ではキリスト教のようにはかかれていないけれども)。で、それにつかえる巫女さんも神の声を伝えるものとして敬わなければいけないし、恨まれれば神に恨まれたのも同じなんでしょうね。れっきとした法則があるのかどうか知りませんが、「目には目を、歯には歯を」というような考え方もしない。よく考えてみれば、目をやられたら目だけをやり返していいという考え方、物理的にやったほうはやられた方と違って精神的覚悟ができているわけで、精神的なダメージが違うんですな。だから、日本のように、たとえば道真公が不遇の中で死んでたたるのはやった一族全員にまで、ようするに怨霊の気がすむまで、やられたら徹底的というのが本来は正しいのかもしれない。
 宇宙の法則と同じように、人間も神も、自然の一部である以上、どこかで必ずバランスがとれていなければいけない、その心理も然りですか。
 確かに祠壊されて黙ってるのが神なんておかしいですな。人間と同じように感じなければ、どうして人の心を救ったりできましょうってとこですか。

 まあ、ということで、連続掲載、すなわち連載が始まった巫女姫、しばらくおつきあいいただける方は、おつきあいください。
Date:2003/07/08(Tue) 17:39 No.14


 「巫女姫物語」(二)を更新しました 
 「巫女姫物語」の(二)を更新しました。
 予定より三日遅れてです。
 何をしていたんでしょうねえ。何か更新の前後でやたら体調悪かったのかなかなか原稿用紙からの活字起こしが進まなかったんです。
 若干当時の原稿に手直しを入れてるので、その分時間がかかるのですが、それでも人物造詣を少し深く掘ったり、表現を分かりやすく訂正する程度で、さほど大きな改稿はしていません。
 書き直すと当時の文章や表現の仕方と違うので、一から全部書き直さなければいけなくなります。そんなことはしません。<19>collectionですし。
 
 ちなみに、登場人物が出揃ったので名前の由来のあるものだけ紹介しておきますと、小夜の妹「信乃」これは、元になった友人の脚本にある名前そのままです。「しの」と読ませてたんですが、この当て字は本当に正しいんですかね。
 それで、この「巫女姫物語」を書き起こすときに、主人公である姉の方の名前を決めなきゃいけないと思っていたのですが、舞台である信濃地方、長野県に「更級山」というのがあります。さらしな…さやしな…さらしの…よし、さや、しの!って感じで「さや」になりました。漢字表記の「小夜」では「さよ」になるんですね。どっちでもいいんですけど。
 「靭実」、これは強靭の「靭」にしなやかという意味があるので使ってみたかった字で、このとき使ってみました。
 「佐助」、忍者といえばサスケだろう、というのもありましたが、このキャラクター自身が「補助・補佐」の役割なんでちょうどいいからこの字を用いて「佐助」
 「楓」はもじりです。このキャラの位置づけがなかなか決まらなくて、佐助の妹にしたんだと思います。別に人間でなくてもよかったとか、そういうキャラクターでしたね。
 「ハヤテ」、初回稿ではただ「かぜ」とのみ呼んでいたのですが、あまりにそのままなので今回名前をつけました。はやて。このまま入力して変換すれば意味はそのままであることがおわかりでしょう。
 後は何となく雰囲気でついてます。たいした意味はありません。

 名前だけみると、あんまり愛情のこもってない作品で、実際三〜四百枚あるのに、書いたのは二、三ヶ月という、今から思えば脅威のスピードでした。一番書きにくかったのは、小夜があんまり喜怒哀楽がないという設定だったので、こいつがどうも使いにくかったですね。主人公なのに。
 とりあえずあと四、五ヶ月連載は続きますので、おつきあいいただける方はおつきあいください。ムッツリーニ佐助だの、変態サド隆明だの、たぶんこういう形式の話でもなければ出てこないキャラクターが結構でます。創作裏話も思い出した時々にしていきたいと思います。どうぞよろしく。
Date:2003/07/24(Thu) 23:45 No.17


2003年 8月12日 (Tue) -- No.3
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」の(三)を更新しました。
 一週間以上遅れての更新となりました。次回は八月二十五日頃で予定しておりますが、その週の更新が出来ない場合は、九月第二週まで更新ができません。新学期準備のためです。その予定でお願いします。
 
 「巫女姫物語」については一九九一年の段階で原稿用紙で最初に書いたあと、その後二稿目をワープロで起こしてフロッピーに入れたはずなのですが、そのフロッピーを紛失していて、現在当時原稿用紙に書いたものを元にして活字に起こしています。
 結構早いスピードで書いたので誤字脱字も多いのですが、中には「これは一体何が言いたいのだろう」と頭を抱えるところもあったりして活字起こしはなかなかすすみません。ちょっとずつ矛盾のあるところも訂正していってるんですが、逆に、「なんだこれ、うざい書き方してるなあ、ええい切っちゃえ」と、一枚分ぐらいまるごとばっさり落したりして起こしている箇所もあり、もしかしたら後になって複線だったところも切っちゃってるかもしれないので、後の部分を起こした後に前の部分で増やすということもあるかもしれません。さすがに書いたとはいっても十二年前にどう構成を立てたのか、一読では思い出せないところも多々ありますから仕方ないのだと思います。

 今回の部分で思い出した、当時参考にした本をあげておきますと、長野県戸隠村の郷土研究の方々発行の戸隠村・鬼女紅葉伝説の冊子(手元に残っておりません)、それから文春文庫で夢枕獏「陰陽師」でした。後もいろいろな本をめくった覚えはあるのですが、どれからひいたのかはとどめていません。覚えてもいません。読んでたら役小角も思い浮かべるところがありますから、その辺も見たことは見たんでしょうね。とりあえずはっきり覚えているのはこの二冊です。
 巫女姫伝説というのは、この場合謡曲にもなっている紅葉伝説を元にして作ったはずなんですが、今みると影も形もありません。やはり参考にした程度だったのでしょう。そもそも鬼女紅葉伝説は戸隠村といって長野県でも北の方にあった伝説ですが、巫女姫はどちらかというと南の方に基準を置いて書いたような覚えがあるので、参考にしている、というか発想を得たからといっても同じではないと思います。
 
 書きながら頭の中で突っ込みを入れてます。でもファンタジーって「おいおい、それでいいの?」ってなことを平気でしゃべり平気でするので、まあいいかと思いながら現在の自分の許せるところまでは当時のままで(といってもそんなに加筆してないですよ)残しています。昔の十四歳といえば現在の中二よりももう四、五歳上で考えて書いてもいいかなと思いながら書いた記憶があります。
 そういえば昨日「子連れ狼」をテレビでみていて「うわあ、なんて三歳や」とたまげて見てましたから、昔の子供は今よりずっとしっかりしていて年をとるのも早かったのかもしれません。
 でも「子連れ狼」の大五郎はやっぱり別格でしょうかね。

2003年 9月18日 (Thu) -- No.7
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」を更新しました。
 打ち込みながら思ったんだけど、こんな話だったかしら?
 書いてあるからこんな話だったのでしょうね。
 
 一章二章と違って相当手直しの量が減っています。今でも得意ではありませんが、昔も出だしがあんまりするりと書き出せなくて、何度も書き直していました。「箱の中」も現在本になりネット上に公開されている一章は、さも最初からああだったような顔をしていますが、相当他の箇所に比べて手が入っています。「巫女姫」の原稿用紙に残されていたのは第一稿なので、もちろん相当手直しを入れないと読めたものではありません。
 ただやっぱり前回と同じように必要がないと思う部分はばっさばっさと切っていってるので、もしかしたら後で必要だとわかったら復活しているかもしれません。それから、おぼろな記憶なんですけど、後で(つまり当時第二稿を入れたときに)設定を変更していた部分があったように思って、今回もそういう箇所が出てきたのですが、いかんせんやはりおぼろげな記憶なので、最後まで丁寧に見てみて、それで必要なら書き直すことにします。
 変更があった場合は「まんだん」でお知らせしますので、暇な方は読み返してみてください。

 ついでですが、短編集に今年の前半に入れた「黒髪」の舞台が、この前明石屋さんまのテレビで出たそうです。過疎の村で小・中学校に山村留学生を募集しているんですが、その関連で。関西地方はまだ放送されていません。
 ふと思ったのですが、万が一実際近所を通る用事があった人のために申しておきますと、若干舞台とは違います。丁寧に比較しないとわからないですが、都合がいいように書いています。伸子シリーズと違って作品中に地名を入れなかったのでおわかりのように、あくまでもモデルの土地はモデルです。しかもストーリーを作った時点と現在時はやはり若干舞台である土地の環境も変わっているので、微妙なずれがあります。その分、会話する「場面」を移動したり、設定そのものを少し変えたり、逆に現在時点ではありえないものもそのままにしてあったりします。でも大筋ではたぶんさほど変わりません。
 一番大切なのは、話の中で辻褄があっていることなのでしょう。でも、舞台があるとイメージはさらに膨らみます。それで一応可能なものは紹介することにしています。
 これからもきっとそうでしょう。
 でも「黒髪」の舞台なんてよほどのことがないといかないだろうな。

2003年10月13日 (Mon) -- No.2
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」の(五)を更新しました。…こんな話だっけ?(毎回書いてそうだ。)
 今回の章はちょっと表現をいじった程度ですが、最後の台詞部分を初稿より大きく変更しました。後になって変更した元の部分が実は伏線になっていたら訂正します。その時はお知らせします。
 時系列もちょっとだけいじってるんですが、そのちょっとのいじりでずれてないか心配です。
 とりあえずは最後まで走ってみましょう。まだ半分にも来てませんから長いですね。次回更新日は来月になっていますが、それまでに更新できそうなら更新します。でもあんまり期待はしないでください。

 今回のことで思い出したことといえば、本当は前回で思い出してたんですが、高校の日本史の授業で「寵臣」の「寵」の字がつけばほとんど主従で肉体関係があったと習ったような気がします。戦国時代の武将というのは、前線でなかなか女性もつれていけないことだし長丁場ということで、見目のよい男性ですませたとか。武田信玄なんかも寵臣に恋文を送った後が残っているとかってききましたっけ。
 前回の記述もそれにならってますので、知らずに書いているわけではありません。念のため。
 それで今回もう一つ思い出したことに、樋口一葉の「たけくらべ」の論争です。
 お札になるとかでちょっと注目されているかもしれない人ですね、樋口一葉。この樋口一葉の「たけくらべ」で、主人公美登利がしばらく顔を見せないと思ったらある日突然髪を島田に結って人物が変わってしまったようになってしまった、という場面があって、そのしばらく顔を見せなかった間何があったのか、ということで論争になってるんだそうです。初潮が来たからという説と、初めての客を迎えさせられたからという説(美登利の家は確か茶屋、姉は花魁)とがあるんですけど、初めてその論争の存在を知ったときは、「くっだらねー、目え向いて話し合うことかよ。」と思ったものですが、これはたぶんどっちでも読めるように書いてるんじゃないですかね。
 「たけくらべ」そのものは、文体そのものが難しくてとっつきにくいんですが、美内すずえ『ガラスの仮面』で、マヤと亜弓が演劇コンクールで別の劇団に所属しながら同題材で争うというその題材に使われているので話そのものは知っている人も多いかと思います。寺の息子信如とのあわい初恋を描いた小説ですが、肝心の場面はその最後の方に出てきて、話の中では前後が書いてあるだけで肝心要に美登利に一体何があったかは書いていない。
 でもおそらくどっちにも読めるように書いているんでしょう。作者というのは、読者がああ読むかこう読むかと考えながら、「これは読者の想像にゆだねた方が面白いんじゃなかろうか」とあえて書かないで面白がるものです。初潮だと済ませてしまう人もいれば客をとらされたとまで考える、どちらでもいいじゃないですか。読む人の人生と価値観にあわせて想像たくましくさせればいいんですよ。
 
 ちなみに樋口一葉、本名は奈津、別名夏子。十七歳の時に父親が多額の負債を残して病没、翌年小説家はもうかるときいて(ホンマに?)小説家を志し、二十歳でデビュー、「たけくらべ」は二十三歳のときの作品で、その頃秀作を次々と発表するも、二十四歳のときに長年の苦労と貧乏の末肺結核で死去(明治二十九年)という薄幸の作家です。その活躍時期は短く、作品は少ないものの後年の文豪らに「一葉女史」と一目置かれる存在でした。
 ただ、なぜこう貧乏くさい人をお札にしようと思ったのでしょうね。何か縁起悪くないですか? なぜ与謝野晶子じゃだめなの? まあいいんですけどね…。

 できたら年内に「緑青の海へ」、今読み直したら上がってる分の文章がたいへん荒れているので若干手を入れたいと思います。まあお知らせはしないかもしれません。どうぞよろしく。

2003年11月17日 (Mon) -- No.2
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」を更新しました。
 一週間の遅れでした。
 次回更新日は、カレンダーの予定を見ながら決めているんですが、さてうまく行きますことやら。学期末の成績処理が思うように進まなかったら、また一週間は延びるでしょう。
 しかし、最近困ったことがあるんですよね。
 インターネットの検索システムというのは、URLを登録すると、それで自動的にロボットとかいうのが読み込みに来てくれるんですが、見て欲しくないページは拒絶できるように設定できるんです。ところがなぜか拒否している小説ページが一向拒否されない。
 盗む奴は正面からきて盗んでいくんで、まあそれゆえにの盗まれる心配はしてないんですけど、自分が検索してて小説ページの何かを開けてしまったときの気恥ずかしさが嫌で、うちのページも拒絶したいんだけど、できない。「巫女姫」で検索するとgoogleで上位20件にヒットされてしまう。「千早赤阪村 地図」で検索すると伸子シリーズのフォトギャラリーが上位20件にヒットされてしまう。「徳島県海部郡由岐町伊座利 猟師」でも…。
 なんとかなりませんかね。なんではじかなくなったんでしょう。もうちょっと勉強してみましょう。

 さて、今回の分は、大きな改変はありません。細かい部分でちょこちょこっと訂正しました。あと、改行を増やしました。
 まだ中盤さしかかったところですね。
 義見朔次郎が小坂靭実になる部分で過去の場面は終了のはずなんですけど、果てさてそれはどこに書いてあったでしょう。次回あたりですかね?(作者がこんなことでいいのかしら。)
 落ち着いて考えて読めば小夜が何をしようとしているのかわかると思うんですけど、私もいかんせんラストの部分しか記憶がないので、はっきりとは言い切れません。
 そういえば、これは発案の元になったのは、友達が演劇コンクールのために書き下ろした作品なんですけど、今ちょうど演劇コンクールの最中なんですよね。地区の上の府大会で、先日生徒の一人がそのリハーサルのために公欠になり、いやあ懐かしいなあ、なんて話していました。さて、入賞でもしたかな? しなかったかな?

 今回思い出したこと。この当時読んでいた本を思い出しました。
 ほとんど大学の図書館で借りて読んでいたので、手元にないから書名がわかりません。色彩学か何かの本と、あと世界の婚姻史か何かの本を数冊、心理学の本が何冊か――ひとつ書名を覚えていて後から本屋で探して買ったものにA・ミラー『魂の殺人−親は子供に何をしたか―』があります。
 どれも何の目的で借りて読んだのか、さっぱり覚えていないんですけど、色彩学の本では色が人に与える印象とかそういうのが書かれていて、カラーセラピーというのもこの本で知りました。当時は心理学の本というのは今ほどなかったものです。素人も読める心理学関係の本は探すのにかなり骨が折れましたね。
 A・ミラーの著書は、その四、五年後一時期平積みにされていたことがあって、親が子にする虐待について話題になったときクローズアップされていました。私の場合、これは太宰治の生涯をたどりながら、親が子供に及ぼす影響、親が子供の自我を殺すとかそういうキーワードで参考文献を探していたら出会ったものです。小説の題材でも必要だったのかな。でも、このときに作った小説はその後すぐに筆を折っているので作品化してないものが多いですね。
 ほとんどアンハッピーエンドなんで今も書きたくないというのもあるし。
 今当時ほど本を読みませんね。さぼってないで読まないといけませんね。いやはや、図書館で遊ぶ暇がないもので。

2003年12月25日 (Thu) -- No.7
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」の七章を更新しています。
 やっと後半に入りました。
 今回まだ朔次郎が靭実になる場面は出てきてませんでしたね。次回だと思います。
 通しで読んでから更新しろよ、いいかげんな奴だな、と思われるかもしれませんが、通しで読んでいたら、今頃ネット上には影も形もないと思います。
 ということでご容赦ください。

 今回打ち込みながら思ったことで、書いているときも思っていたことなんですが、「この物語の世界ではこれが正しい、これが正しい、こういうのが正しいんだ。」と自分に言い聞かせながら打ち込んでました。
 読み返していて、たぶん今回更新分が一番作りがあまいところで、原稿みても、どうみても、つながってない部分があって、その部分は修正しておきました。
 
 戦場に女がいること。
 巴御前なんかはそうですよね。それを抜きにしても意外と世界各地で戦場に女性がいたと思うんですが、日本では特に生首の首化粧をしたり、死にかけた人にとどめをさしてあの世に送り出してやる、なんてのは、戦国期の確か遊女(この場合は江戸期のそれとは違う巫女の役もする人)たちの仕事だったとかどこかで読みました。
 谷崎潤一郎の小説『武州公秘話』というたいへん読みにくい、とっつきにくい小説の中で、主人公の武州公の初恋の相手がこの首化粧をする女で、武州公がまだ幼い頃、もの影から戦でとられた生首の化粧をする女たちをのぞいていると、化粧が終わるたびに美しく笑う一人の女がいて、まだ幼い武州公はその女に恋をするわけなんですが、その女が一番美しく笑いかけたのが鼻のない生首で、武州公はその鼻のない生首に笑いかける女にえもいわれぬエクスタシーを感じ、以後の人生でずっとこの「鼻のない」にこだわり続けるという、あ、やっぱり谷崎潤一郎ね、という落ち着いて考えると変態チックなお話の中にも出てきます。
 坂口安吾の「桜の森の満開の下」も確か生首で遊ぶ姫の話だったような…坂口は谷崎をむさぼり読んでいた時期があるので、発想するときに何か関係あったんでしょうか?
 どうでもいいか…。

 今回の場面の高階隆明は、もっといっちゃった人物で当時書きたかったはずなんですけど、ただでさえ作りが「あまい」場面なんで、あれ以上いっちゃったらどうしようもなくバランスが崩れてしまうので、あの辺でやめたという記憶があります。
 いっちゃった人って、書いてて楽しいんですよ。普段めったと会いませんし、自分自身も冷めてること多いので。何が楽しいんでしょうね。キャラの性格がいっちゃってて迷いがないところですかね。
 暴走?
 う〜ん。

 打ち込んで読んでいるうちに、今更新している分の最終章を終わって、次に書く予定だったストーリーがどんなだったか詳しく思い出せてきます。でも、「この物語の世界ではこれが正しい、これが正しい、こういうのが正しいんだ。」というのを言い聞かせながら書かなければいけないので、続編は形にはしないでしょうね、きっと。

2004年 1月 2日 (Fri) -- No.2
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」の八を更新しました。
 八を更新するにあたって、七に変更を入れました。
 高階隆明が慈五郎を連れてきたエピソードを話す場面、「昨日」から「一昨日」に変更しました。
 この部分は村から山越えをして高階の館までくる時間の差として元々設定にあり、慈五郎が村から消えた日が「一昨日」、高階の屋敷に到着したのが「昨日」というふうに当時時間軸をくんでいたと思うんですが、その辺のくだくだとした説明が入ってないのと入れると説明くさくなるのとで、「一昨日」に統一します。一見すると間違いに見えるぐらいなら、そちら方がいいでしょう。
 ということで、前回更新分の七に改変です。よろしくご了承ください。

 当時の原稿用紙はただでさえ誤字が多かったのですが、今回更新した分から洒落にならないほど誤字脱字が増えていました。
 すごい勢いで書いていたんですよ、後半。しかもバイト先でもらった安っぽいボールペンで。
 今でこそ百円そこそこのボールペンにもグリップがついていますが、当時ドクターグリップも出始めた頃で、さして宣伝もしていず、私もこれを書いた後にドクターグリップを知ったぐらいでした。
 試験勉強をしていて腱鞘炎になった人の話をきいたのもこの頃で、こう、ペンだの腱鞘炎の話が飛び交っていたんですね。なぜかというと、これを書き終わった段階で、右手の人差し指の先に巨大なペンだこができて、化膿し、通院して悪化し、右手人差し指の先に包帯を巻いていたからなんです。
 一ヶ月で三百枚以上、しかも大学で毎日授業受けながら書いたわけですから(専門とする学科の都合上、ほとんどの授業が「書き」です)、悪くなるのも当然です。
 しかも場所がデリケートな場所な上に、ものが小さかったので、たこのしこりを出して、それを切り取るというその作業、先生が不器用だったばかりに、流さなくていい血を流したんですよ。
 ゆえに「通院して悪化」です。
 タコのしこりが表面に出てから治るまでかなり時間がかかったので、確か一ヶ月以上通院したはずです。しかも切り取り作業が二度失敗して、そのたびに出血。でも家に帰る頃には血もとまって、たいしたことなかろうとお風呂に入り、髪の毛を洗っていたら、上からぽたぽたと血が滲み出してきたので、何かと思って見上げると、お風呂の壁のあちこちに血の飛沫が飛んでいて、ひええええ、スプラッタだ〜とおののきました。
 先生が下手なばっかりに。
 あれで治療費が高ければ怒って二度と行かないところですよ。
 しばらくは右手人差し指をはずす鉛筆や箸の持ち方が治りませんでした。
 今は影も形もありません。

2004年 1月20日 (Tue) -- No.3
 +--今月二度目の「巫女姫―」更新--+
 「巫女姫物語」を更新しています(更新は十九日)。
 前々回でしたか、大木村の伝説が高階隆明によって語られましたが、あれは私の創作です。一応紅葉伝説を読んでから作ったという経緯はありますが、紅葉伝説にはあまり似ていないと思います。どちらにせよストーリーに合うように創作したものですので、一応お断りを。
 前回を更新した後に、作りがあまいと書いたんですが、確かにあまいことはあまいんですが、今回うちこんだ分を読みながら、どうもあまいと思った部分がすべてあまいのではないみたいです。
 でも、今回でも、監視なくして村人たちは寄り合いでの話しを進めさせえるのかという疑問点が浮かんできまして(詳細は本文参照)、その部分がたいへん気になったのですが、これまでも大筋での書き直しはなかったので、今回もそのまま行きました。
 十二年前に書いた展開のままです。
 あと三回で終了です。三月の末か四月の初め(つまり春休み中)には更新終了しますかね。
 次回は二月半ばです。楓が引き受けた内容というのはさっぱり覚えていませんし、今もまだ続きを読んでません。
 大丈夫ですかね。
 

  「巫女姫−」と関連して、小説の更新の話題を続いて。
 「緑青の海へ」で、更新を停止させていましたが、半年をメドぐらいに更新が再開できそうです。更新が再開できるということは、続きを書くということです。
 一計を案じ、それが段々頭の中できちんとした形になってきたので、ということです。更新止めの問題になったのは、?部で挿入する劇中劇、それがストーリーが単純で盗まれやすく更新止めということだったんですが、これの問題が解決しそうということで、一応告知です。半年以上かかるかもしれません。見たら必ず「え?」ということをしますので、その「え?」がきたら、更新開始です。待っている人は今しばらくお待ちください。
 でも、以外と盗みやすいとか本人が思っているものに限って、盗みにくかったりするのかな、とも思いますけれど。そもそも劇中劇なので本編よりは魅力が劣るんですけどね。
 また、「緑青の海へ」は以前、確か盗まれにくいものを作ろうとして出来た話だ、ということをどこかで書いたように思いますが、あれは別にエロシーン満載にするから盗みにくいとか、そういう意味ではありません。ですから本編の方は盗られる心配をしていません。
 
 去年は大学院時代、日本育英会で借りたお金を全額返済しました。いろいろと整理していくうちに、脳みそもすっきりしてきたことですし、今年は、著作権をまもりつつ、自分の作品を自分の作品として発表できるように場を確立していきたいと思います。
 悪者は三十倍にして叩きのめすという意気込みで、不可能を可能にしていきたいと思います。
 「そこ」しか見えていない人たちには、いい意味で期待を裏切るクライマックスは作れないし、予見できないと思います。やはりいい意味で期待を裏切るクライマックスにしたいです、何事においても。

2004年 3月17日 (Wed) -- No.2
 +--「巫女姫物語」を更新しました。--+
 「巫女姫物語」を更新しています。
 次回で終わりです。
 原稿用紙のそのままの枚数で、三十三枚が残っています。三月中の暇を見繕って更新したいと思います。
 
 今回の更新分は、かつて書き残しておいてあったものが、あまりに筆が走りすぎていて言葉足らずだったので、かなりの量で加筆しました。大筋では変わっていません。ただ、それぞれに去る登場人物たちとのやりとりを、丁寧に書き込みました。
 一応今回のがクライマックスの坂に上る部分なんですが、打ち込んでいて、まあこの程度かな、とぼんやり思ったんですが、打ち込んでいる私自身ラストを知っているので、はっきりいって正確にはどの程度なのかはわかりません。
 ちょっと物足りない。
 というか、登場人物たちが、どこかしら、消化不良で終わっていくんですよね。
 まあ、おそらく書かないであろう後編の橋渡し的な筋で、今回更新分がだいたい全体からいうと四割辺りの位置、次へつなげつなげとクライマックスへ向かっているので、消化不良になるのは当然なんですけど、とりあえずは「巫女姫物語」というのはこういう話だったんだと得心しましたよ。
 といってもまだ最終回を見てない人には「何を言ってるんだ」という感じなんでしょうけどね。
 次回まとめていろいろと書きたいと思います。もしかしたら「あとがき」をつけてまとめるかもしれません。


 「巫女姫―」の更新作業が終わって(17日未明)YAHOOのニュースをのぞいたら、田中真紀子前外相の長女の私生活を暴露した『週刊文春』が、その記事故に差し止めになったという毎日新聞の記事が出ていて、その記事を読んだときにはたいしたこととも思わなかったんですが、朝起きたら大騒ぎでびっくりしました。
 なんかマスコミはいつもの論調で、いつものように「言論の自由」を持ち出していますけど、いつも思うんですが、「言論の自由」って民主主義だから保障されているものなんじゃないんですか? 民主主義の原則の一つのように思っていたのは私だけではないんでしょうか。
 民主主義って「民」が主となって行われる政治体制じゃなかったでしたっけね? 「私」の個人的な生活や事情を書きたてられることによって、一人の人間がプライバシーを侵され人格が損なわれることは、民主主義の原則に反することではないんですかね?
 人一人一人の権利を守ってこそ、民主主義があると思うのに、その民主主義で補償されたはずの「言論の自由」を掲げて人の権利を損ねるってことはどういうことなんでしょう。
 公人ならある程度仕方ないです。でも、公人でも私生活を暴かれていいものでもないと思います。
 とりあえず「週刊文春」のあの記事の何を持ってして(といって現物は読んでいないのだけれども)、「思想弾圧」にまで言及できるものがあるのか私にはよくわからないんです。
 誰か教えてくださいよ。
 確かにそれで食ってるジャーナリストなんかは、こういうことが次々と起こるとおまんま食い上げになるから、そう主張したいのはわかりますけどね、人一人の人権を侵してまで何の「民主主義」の何の自由かよくわかんないんですよ。
 いい大人が他人の私生活をのぞいて暴いて金に変える(しかも倫理的悪事を暴くならともかく心の傷になるような部分)なんて、それ以前の問題のような気もするんですが、どうなんですかね? 一歩間違えれば「言論の自由」「知る権利」を笠に着た犯罪行為ではないんですかね?
 どっかで説明してくれないんですかね? 週刊誌が社会的な思考のできない理性のない子供であるように見えるんですけれども、誰か私にもわかるように説明してほしいです。 お願いします。

2004年 4月 2日 (Fri) -- No.4
 +--「巫女姫物語」更新完了
「巫女姫物語」を更新しています。(実際更新したのは3月31日)
 ちょっとだけ、更新が遅れました。
 「更新しています」とか書きながら、実際文章を打ち込みながら、頭の中はティム・ロビンス主演『ショーシャンクの空に』でした。ちょっとご飯食べるついでに見ようと思ったら見入ってしまい、そのせいで「巫女姫−」の方の更新が遅れました。
 『ショーシャンク―』の話はまた後日。でも、4週間4本見た映画の中で一番見ごたえがありました。後3日ぐらいは頭の中で『ショーシャンク―』の映像がウロウロウロウロとしているでしょう。後3日ぐらいは幸せ。
 
 それで、『巫女姫―』の更新です。
 終わりました。最終回を迎えました。おめでとう! 九ヶ月にも及ぶおつきあい、一番私に「お疲れ様でした」と言いたい。
 ちなみに最終回はあまりいじってません。ほとんど当時のままで、改行を増やし、意味の通りにくいところだけ修正を入れました。
 戦国時代の戦いって、本当は先ず刀じゃなくて弓なんですよね。接近戦にいきなりもつれ込んだら兵の損失が大きいじゃないですか。だから、刀じゃなくて弓なんですけど、このお話の中でも一箇所だけ、実際刀も使われませんでしたが、「ここに弓が出てこないのはおかしい」という場面があったんですけど、話の流れでどうしても弓を使わなかった場面があります。
 わからなければいいんです。
 でも、おかしいと思われた方がいらっしゃいましたら、そこはなぜ弓ではいけないのか一度考えてみてください。
 まあ、そんな人はほとんどいらっしゃらないでしょう。

 「巫女姫物語」、私自身はそんなに好きな話ではないです。
 はっきりいってこの時代設定にはありがちの、ある意味王道で、小細工がしにくい意味でも好きではありません。ファンタジーも苦手です。映画のハリーポッターなんかを見にいくと、終わりになるにしたがって、だんだんイライラしてくるタイプです。それでも中にはこういうのが面白いという方もいらっしゃるかもしれないと、今回更新してみました。
 どんなものなんでしょうね。
 好きだという方は、作者の代わりに愛してあげてください。
 しかし、YAHOOのディレクトリから来られた方でこの「まんだん」の更新情報を読み、まかり間違えて「巫女姫物語」に入ってしまったら、「どこがミステリなんだ」と思われるかもしれませんね。
 何度もお断りしておきますが、私はYAHOOには「オンライン小説」の部で申請したんです。ところが『箱の中』出版案内を見たのかどうかはしりませんが、「作家>ミステリ」に分類されてしまったんです。それでもこの間、「ミステリばかりではないのにミステリに分類されていると、それを期待していらした方ががっかりされるんでは…」と、せめて作家の中の分類にと申し出たんですが、却下されたようです。
 なんで「ミステリなんだ!」と怒号をあげて怒られないように。たぶんミステリに分類していいのは、『箱の中』と『June Bride』、『石と女』、『霧中』でしょうかね。あと短編で、『ゆきひめ』ぐらいかな。伸子シリーズとか『眠りの森』とか、絶対違いますね。もういいんですけどね、何でも。
 と、いうことで、過去の作品の長篇におけるすべての更新はおしまいです。
 
 こうやって作品をhtml形式で公開しておくのは、最近うっとおしいというか、並べているだけで読む気をなくすというか、そんな感じなので、何か別の形式でまとめてみたいとは思っています。だらしない感じもしますしね。
 とにかく亀の歩みで(こちらは不可抗力で趣味となり、一応本業があるので)進めて行きたいと思います。あまり期待しないでください。

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