少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良  作成日:2000/08/01

作 品

ざ・ちぇんじ!

作 者

山内直美(氷室冴子原作)

コミックス

花とゆめコミックス(白泉社・全4巻)、白泉社文庫全2巻

初 版

1、1987/8/25 2、1988/1/25 3、10/25 4、12/25

初 出

「エポ」昭和61年August、October、昭和62年January、3、5、7、9、11月号、昭和63年1、3、5、7、9月号
(原作は集英社文庫コバルトシリーズ)

登場人物:綺羅君、綺羅姫、権大納言藤原顕通(綺羅君、綺羅姫父。後左大臣)、藤中納言女政子(綺羅君母)、源宰相女夢乃(綺羅姫母)、小百合(綺羅君乳兄弟、お付きの女童、後女房)、帝、左近少将(後宰相中将)、右大臣、右大臣家三の姫、女東宮久宮(帝妹)、他

あらすじ:時は平安、京の三条邸の主で時の権大納言藤原顕通には、美しい二人のお子があった。一人は西の対の屋政子の子、綺羅君、もう一人は東の対の屋夢乃の子、綺羅姫。しかし一日違いで生まれた二人は、美人だったというおばあさまにその容姿がそっくり、綺羅姫はどこまでもたおやかで美しく、綺羅君は利発で武術に優れ、名門の家に生まれた二人は何もかもに恵まれている、かのように見えた。が、実は大きな問題があって、男の姿をした兄綺羅君は本当は女、女の姿をした妹綺羅姫は男だったのだ。
 だから女の綺羅君は元服を認められず、宮中に出仕もできない。父権大納言は二人を世間に「出家させる」とまで言っていたのだ。しかし友人を介して何かと左近少将に「元服もしていない無位の子供」とバカにされつづけているのに綺羅君は腹を立て、父に元服を嘆願、ところが父は「女であることがばれたら、おかみをたばかった罪で死罪、お家はとりつぶし」と言い張って許さず、頭にきた綺羅君は家出と称して北嵯峨にある別荘へとでかけていった。
 綺羅君はあまりの暑さに別荘を抜けだし近くの湖で水浴びをしていた。裸で泳いでいたところに人の気配がするので慌てて岸に泳ぎつくと、そこに身なりの正しい公達が突然現れた。(C)咲花圭良
 公達は、こんなところで身分のいい娘がそんな格好で、何かやんごとなき事情があるのではないかと尋ねるのであるが、もちろんそんな理由はない。綺羅君は裸のまましゃがみこんでいたので、寒さで早く服を来たいから立ち去ってもらうために「意に染まぬ結婚を勧められ、入水しました」とウソをつく。公達はそれを信じ涙ぐみながら紫水晶の数珠をくれ、立ち去った。
 数日後、帝が評判の綺羅君をみたいと言い出したのをきっかけに綺羅君の元服が決定、ところが元服の加冠役(事実上の後見人)を、権大納言の父、関白左大臣と弟右大臣が争い、くじびきで負けた左大臣が帝に、綺羅姫の裳着の腰結い役(事実上の後見人)を嘆願したのをきっかけに、綺羅姫の喪着も決定した。
 元服式をすませた綺羅君は、宮中に出仕、そこで北嵯峨の公達が、実は帝であったことを知る。しかし幸いなことに、帝は北嵯峨であった綺羅を綺羅姫だと勝手に思い込んでいたのだ。他人に女であることがばれないように努めながら綺羅君は順調に出世、二年後16歳、三位中将となって、また「結婚」という難題が持ちあがった。

コメント:山内直美か…もろ少女漫画の絵柄だな。デッサンも微妙にゆがんでるし。原作はコバルト文庫か、中学生の読む小説だなあ…。「新釈とりかえばや物語」だ? 「ざ・ちぇんじ!」だ? ふさけんなよ、アハハハハ、などと思ってこの漫画をめくってほしい。
 思いっきり裏切られる。良い意味で。
 そうだよ、よく考えたら氷室冴子って「ライジング!」の原作者じゃん。白泉社があたりもしない原作モノも採用するはずないんだよな〜。
 …てなことを思い知らされるのだ。

 ま、最初は細かいことを考えずにはまって読むのがよいのではないかと思う。
 たぶん、「あさきゆめみし」よりは、よりわかりやすく平安時代の風習を理解できるだろうし、現代風のギャグタッチなので入りやすい。「平安時代入門」にここから入る、という意味でもお勧めの漫画である。
 ただ、少し考えてみれば、氷室冴子がなぜ最初にこの話を書こうと思ったのかというと、原作である「とりかえばや物語」に疑問を抱いた部分を自分なりに修正してみたいと思ったのではないだろうか。綺羅君の生理の問題だとか、「結婚問題」だとか。でも最大の入れ換え劇で最も解決したかったのは「髪の長さ」ではないかと思うのだ。だから物語冒頭でわざわざ綺羅君に裸で水浴びさせて帝に見せたり、意に染まぬ結婚を、という理由で入水したとウソをつかせたのではないだろうか。ちょっと考えてみればかなり危ない複線なのだが、元々の話が奇想天外なネタなので、物語として楽しむには、さほど問題はないだろう。実際読んでみて、「あ、なるほど」というような解決を見せているのだから、これはこれでいいのだ。

 平安時代は物語を女房が声にだして読み、貴族の子女はその語るのを聞きながら絵巻を見て楽しんだそうだから、いわゆるマンガのハシリ、当時の貴族の子女も、おそらく現代のマンガを読むのと同じノリで楽しんだのだろう、などと考えてみると、平安時代の物語はマンガで表現するのが、現代では一番適った方法ではないか、などとも考えてしまった。(C)少女マンガ名作選
 「とりかえばや物語」自体のコンセプトは、私はよく知らないけれども、この男装の綺羅君に焦点をあてられた「ざ・ちぇんじ!」を読んでみると、所詮若いころは男の子として生きることに憧れても、やはり女は恋に生きるのか、それが幸せなのかと思ったり、またこれはこれで読む側の一種の変身願望を現しているのだな、とか思ったり、時代が変わっても十代の女の子の考えることなんて大して変わらないのかも、などと考えたりしたものである。

 藤田和子と組んで作った「ライジング!」と比較すると、「ざ・ちぇんじ!」は原作が出来あがった段階のものをマンガ化している。だからちょっと説明くさいかな、とも思うし、逆に「ライジング!」のスムーズさに気付かされる。
 また、藤田の「ライジング!」の仁科祐紀は、後半、かなり「女」だったが、「ざ・ちぇんじ!」それから同じ山内にマンガ化された「なんて素敵にジャパネスク!」を見ても、さほど「女」を感じないから、マンガ家そのものの書き方、個性も、かなりプラスアルファされるのだとわかる。

 まあ、細かいことは二の次で構わないから、とりあえず、作品を楽しんで、それから、ギャグの中に配された細部の知性に、お気づきいただければよろしいのではないだろうか。

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