少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良  作成日:2000/03/05

作 品

ニューヨーク・ニューヨーク

作 者

羅川真里茂

コミックス

「Jets Comicks」(白泉社・全4巻)

初 版

1、1998/3/31 2、5/31 3、8/31 4、11/30

初 出

「花とゆめ」1995年19、20号、1997年22〜24号、1998年3〜14号

登場人物:ケイン・ウオーカー、メル・フレデリクス、ダニエル・ハワード(ケイン同僚)、ブライアン・バーグ(ケイン上司)、ゴーシュ・ストーンマン(ケイン同僚)、ジョシュア・ブロンソン(メルの元恋人で、モデル)、JB(メルの働くカフェの店主)、エイダ・ウオーカー(ケイン母)、ジョージ・ウオーカー(ケイン父)、ルナ・ピッツバーグ、ジョーイ・クライン、エリカ・ウオーカーその他 

あらすじ:ニューヨークの警官であるケイン・ウオーカーは、オフの時間は同僚にも誰にも秘密で、マンハッタン、クリストファー・ストリート――ゲイの溜まり場へと出かけて行く。彼はそこで一夜の相手を求めるのだが、その夜は運命的な出会いをした。金髪碧眼の美青年、メル・フレデリクス。やがて二人は恋に落ち、真剣に愛し合うようになる。ところがメルには以前恋人がいて、過去を知るにつけてケインは嫉妬を抱き、メルに冷たくあたる。
 しかし強い想いを自覚したケインはメルとの同棲を決意し、家を借りて住むようになった。ところが、ケインは職場や家族の誰にも自分がゲイであることをあかしたことはなかったのだ。
 ある日、カフェで働くメルは、お遣いでコーヒー会社に出かけて行く。そこで、彼は麻薬を回収する犯人に襲われる。殺された人もいる中で危うく命は助かったのだが、犯人の顔を見てしまっていたのだ。(以上「エピソード?」)

 メルが犯人に殺されかけたのを機に、ケインは両親にメルを合わせる決意を、つまり、自分がゲイであることも打ち明ける決意をする。(C)咲花圭良
 マサーチュ―セッツ州の両親の元へ行くまでに、メルが元恋人ジョッシュに再会することにより、ケインはメルの過去を知ることになる。そうこうするうちに二人は両親の元へと十日間でかけたが、母の葛藤は激しいものがあり、なかなか受け入れてもらえなかった。母とのすれ違い、また、母自信の葛藤を経て、二人は、そして両親との理解を深めて行くことになる。(以上「エピソード?」)

 (「エピソード?」〜)さて、両親にも理解された二人は、結婚式を上げることにした。
 結婚式もあげ、両親やゲイの仲間にも祝福された彼らは、幸福の絶頂だった。ところが、結婚式を上げた翌日、ケインと電話で話したのを最後に、メルは行方をくらましてしまう。
 失踪の最中、仕事も放りだして探しまわるケインだったが、ある日上司からメルと特徴の良く似た遺体の左手首が川からみつかったことを知らされる。その手首は無残に虐待された後があり、ケインがメルに結婚式の日交換した指輪がはめられていたのだ。

コメント:吉田秋生「カリフォルニア物語」、成田美名子「CHIPHA」、そして、羅川真里茂「ニューヨーク・ニューヨーク」。どれもニューヨークが舞台になっているのに、それぞれに時代のズレが明確に現れていて、日本のマンガだけでもこれだけ正確にかきわけられるのだと妙に関心してしまった。吉田の「カリフォルニア…」は、ニューヨークはまだまだ荒れていた。成田「サイファ」では街は改善へと向かいつつあり、そして、羅川の「ニューヨーク・ニューヨーク」では、もちろん日本の治安とはまだまだ比べ物にならない部分はあるものの、間違いなく1990年代後半のニューヨークだった。
 ニューヨークの変化を報道番組で見ては、もう少し、この街の繁栄が続いて、どうか、少しでも長く更正の日々を、平和を、と祈らずにはいられなかった。少なくともこの物語のストーリーからも、あのかつての独特の、街が醸し出す悲惨さは消えていた。その分、純粋に「人間」が描き出されるチャンスでもあったろう、羅川は二人のゲイの姿を描きつつ、純粋にその愛を極めて描くことを許されたのだから、この「時代」が作り出した「ニューヨーク」という何よりのセッティングに感謝すべきなのだ。

 でも現代のアメリカを映し出しながら、さらに現代のアメリカの抱く「病巣」、例えば、家族の葛藤や、虐待の問題、そこから生じる凶悪犯罪などもきちんと踏まえているあたり、この人の「用意されたネタ(注:ここでは題材・材料の意)」から話を立ち上げる周到さ――普通現実にせよ、虚構にせよ、元とする状況やネタを踏まえれば人物描写まで描き込むのは難しく、山のような矛盾を生じさせてしまうことは珍しくないが、こなして最後まで読ませてしまうあたり、評価に値する、と言っては、――偉そうだろうか?(笑)(C)少女マンガ名作選
 「羊たちの沈黙」から影響を受けたそうだが、私の印象では、本当に影響を受けたばかり、他の資料にもきちんと目を通しているし、なぞりという印象はない。(逆にいえば書くものとして、これらのものに目を通していなければ嘘だ。)そして、資料は資料であり、羅川自身は、自分の作品の中で、必要とするオチ(クライマックス)や、テーマをしっかりと決めた上で、周到にそのストーリー構成に合うエピソードを抽出して作り出している。だからこそ、読者はクライマックスでおとされる。なぞりでは、容易におとされない。それは恋と同じ、どっかできいたような…では駄目、ハートのこもった言葉や態度でないと、そう簡単に、相手はおちないのだ。羅川の「ニューヨーク・ニューヨーク」からは、作者自身も作品を書くときに向き合ったひたむきな姿勢や情熱が感じられる。そして我々は、確実におとされる。作品を読みながら、ケインや、メルや、ケインの母親、ルナ、そして、ジョーイの、苦悩や苦痛や葛藤に解け込んで、最後に口説き落とされてしまう。
 「感動」はそんなふうにして生まれるのだ。  

 自分がゲイでありながら、ゲイであることを世間に公表できず、またそのために恋人メルを傷つけてしまう、ケインの葛藤、苦痛、苦悩、後悔には必ず作者の感情が移入されている。
 作者は女性である。しかし、この物語は、ゲイの肉欲や愛情をただ書くことに終始せず、というよりも、男女を問わず燃え上がる恋の条件に必須である「禁忌」を、「ゲイ」という位置関係が上手く「作用」として可能にしている。そうして、ゲイであることに苦しむケイン、あまりにも不幸な境遇の中で生きてきたのに、限りなく無垢であるメルの二人の関係は、原罪を抱く人と救いを与える天使の鋳型のような感さえある。しかし、二人はあくまでも人間であるし、人間であるからこそ苦しみ、乗り越えた時の喜びも、ひとしおなのだ。
 だから、この物語は、ゲイ・ストーリーであるけれども、その型にとらわれず、人間ドラマとして、とらえて読んでほしいと思う。ゲイ・ストーリーに多少抵抗のある方は、入り口のところを少し我慢してほしい。しばらくすると、あまり抵抗なく読めるようになる。

 ところで私は羅川真里茂をデビュー当時しか知らない。今回読んでびっくりしたのはその上達ぶりだった。絵もさながら、以前は、「あ、次感動の見せ場なんだ」というのが、描き方でわかって、少し興ざめし、乗りきれないところがあった。結局は書いている羅川が感情移入しすぎて、興ざめだったわけだが、その悪い癖が(かなり)消え、あくまで書く段階では冷静に自分を抑えて、「みせる」ということが出来るようになっていたのに驚いた。
 それから、これは羅川ではなく、セックス描写を商業誌でこれだけ平気で扱える時代になったのか、ということに、一瞬驚いたが、よく考えてみれば、80年代の「花とゆめ」も、男女、男男問わず、平気でいろんなことを描かせてのけていたので、表現の仕方は変わったものの、やはり「花とゆめ」を改めて実感したことであった。(←?)

 エピソード?、同じように親に暴力と虐待を受けていたジョーイと、メル。同じだけ不幸な境遇なのに、この二人に大きな差を生み出した。
 「愛している」と言う、たったそれだけの言葉が引き金になっている、二人の分岐点。
 天使と悪魔を作り出したこの言葉、鍵となり、一番重く心に残った。

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