少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良  作成日:2001/01/04

作 品

ガラスの仮面

作 者

美内すずえ

コミックス

花とゆめコミックス(白泉社・41巻、続刊中)、白泉社文庫23巻(続刊中)

初 版

1、

76/3/20 2、76/6/19 3、77/1/20 4、77/4/20 5、77/7/20
6、77/9/20 7、78/1/20 8、78/5/20 9、78/8/19 10、78/12/20
11、79/3/20 12、79/7/20 13、79/11/20 14、80/4/19 15、80/6/20
16、80/8/20 17、80/11/20 18、81/2/20 19、81/5/20 20、81/9/19
21、81/12/16 22、82/3/20 23、82/7/20 24、82/10/20 25、83/4/20
26、83/6/18 27、83/11/19 28、84/3/19 29、84/8/17 30、85/2/19
31、85/8/19 32、86/6/19 33、87/3/19 34、87/12/25 35、88/8/26
36、89/9/26 37、90/10/19 38、92/3/30 39、92/10/19 40、93/9/17
41、98/12/22 続刊中

初 出

「花とゆめ」1976年1号〜連載中

登場人物:
 北島マヤ、姫川亜弓、速水真澄(大都芸能社長)、月影千草、桜小路優、北島ハル(マヤ母)、源造(月影千草付き人)、小野寺(演出家)、水城(真澄秘書)、聖唐人(紫のばらの人代理人)、姫川歌子(亜弓母)、姫川監督(亜弓父)、黒沼龍三(演出家)、鷹宮紫織(真澄婚約者)
 青木麗、水無月さやか、沢渡美奈、春日泰子(以上劇団つきかげ)
 堀田、二の宮恵子、細川悟、田部はじめ、長谷川良一(以上劇団一角獣)
 草木広子、吉沢くん、丹波先生、一ツ星学園演劇部員(以上一ツ星学園)
 真島良(「嵐ヶ丘」共演者)、里美茂(大河ドラマ共演者)、間進、乙部のりえ、麻生舞(桜小路ガールフレンド) 他

あらすじ: 横浜の裏通り、万福軒のすみこみ店員北島ハルの娘、マヤは、中学一年生で13歳だった。とりたてて美少女でもなく、成績もよくもないマヤは、ドラマや映画のお芝居を見るのが大好きで、よく出前で映画館にいっては映画を立ち見して返り、叱られてばかりだった。が、一度見た芝居はセリフや役者の動きまですべて暗記し、ある日、道で子供に身振り手振りをつけて語っていたところを、往年の名女優月影千草に目撃され、千の仮面を持つ少女として見出される。
 マヤは、万福軒の娘が持っていた「椿姫」のチケットを、大晦日の配達をすべて一人でし終えるという賭けをして手に入れると、「椿姫」の舞台を観劇、そこで大都芸能社長令息・速水真澄と出会う。そのマヤを、後日、月影は出前を口実に呼び出し、観劇した「椿姫」を演じて見せて欲しいと頼む。そこに、永遠の名作「紅天女」の上演権を目的に通い詰める演出家小野寺と、速水真澄が訪れるが、マヤがその演技を終えて返った後、二人にマヤを「紅天女」の候補として気長に育てていくつもりだと宣言した。
 マヤはその後、学校創立記念祭でやる劇で笑われ者のビビ役をもらい、演技に目覚める。演技の勉強をしたいと思ったマヤは、新聞で劇団オンディ―ヌの広告をみつける。劇団オンディ―ヌを訪ねてみたが、月謝の高さに研究生になることを諦めざるをえず、仕方なく窓から稽古の風景をのぞいていると、研究生がいやがらせに犬を放った。襲われたマヤは、研究生桜小路優と、その劇団の運営権を持つ大都芸能の速水真澄に助けられ、稽古を見学することを許可される。そこでパントマイムをやってみろと、研究生にはやし出され、初めてパントマイムをしてみることになった。それは確かに稚拙なものだったが、横で見ていた女優姫川歌子と姫川監督の娘で演技の天才少女と目される姫川亜弓は、その才能を早くも見抜いたのだった。
 どうしても演技の勉強をしたいマヤは、そのことを月影千草に相談する。すると、月影千草は、劇団つきかげを創立するのだとマヤに教え、そこで学びたいと切望するマヤに、女優になるという決意きき、彼女を特待生として迎えることにした。もちろん賛成しない母親に、マヤは家を飛び出し、寄宿生として劇団に入団する。その後、劇団の研究発表会「若草物語」では、べスの病気の場面が理解できないからと、雨に撃たれたために40度の高熱を出したが無事、勤め上げた。「仕事の鬼」「冷血漢」として知られる速水真澄はそんなマヤに、紫のバラを「あなたのファンより」と匿名で贈る。
 しかし、「紅天女」の上演権が欲しい小野寺らに劇団をつぶしたいがために邪魔をされ、週刊誌に酷評される結果となり、融資した青柳芸能に演劇コンクールに優勝しなければ、劇団つきかげはつぶれることになると宣告される。(C)咲花圭良

 劇団つきかげは、演劇コンクールに参加するが、数々の小野寺らの陰謀により、結局つぶれることになった。たくさんの課題、たくさんの陰謀と闘いながら、マヤは女優としての成長をし、成功を収め、「紅天女」を演じる女優として、候補に数えられるまでになる。

 また、速水真澄自身は、その後、劇団つきかげの敵として、マヤに忌み嫌われるようになるが、影ではファンとしてマヤを援助しつづけ、ファンというだけでなく、一人の少女として愛し始めるようになるのだった。

コメント: 私がはじめて「ガラスの仮面」に出会ったのは、小学校6年生の時だった。その時すでに20巻を越えていたのだから、そこから読むにはたいへんな量と年月を要したのであるが、現在ではコミックス刊行は40巻を超えるまでになっている。私にとっての「入門・花とゆめ」が、この「ガラスの仮面」だったが、それから間もなくアニメ化が決定し、その当時で売上げが40万部、近年ドラマ化された時は某テレビ雑誌によると、既に4000万部だそうだから、ベストセラー中のベストセラーといっていい。そこからさらにマンガの場合、回し読みが学校などでされているはずだから、読者人口になるとかなりのものになるだろう。
 だいたいにして、アニメ化の話が出た時は、既に30巻近くまで刊行されていたと思うが、30巻を超えたマンガを買ってまで読もう、なんて、金銭的なことを考えたら、たいがいの人は二の足を踏んでしまうだろう。コミックス一巻400円と考えても、1万2000円で、それなのに、それから販売部数がはねあがっているから、一巻で足を踏み込んで、麻薬のように引き込まれて読んだ人間が、どれだけいるか考えれば、もうこのマンガの一般的な評価は書かずともおわかりになるかと思う。

 「ガラスの仮面」を表現するなら、青春熱血演劇大河ドラマとでも言ったらよいかもしれない。1976年、スポコンマンガやアニメが全盛の頃に連載がスタートしたこの作品は、今一巻を開けて見ると、非常にレトロな感じがし、アニメ化の時も、ドラマ化の時も、このレトロなイメージが課題となった。おそらく今こんなすごい根性を持った中学生や高校生がいるなんて、ちょっと想像できないし、指導者の方も、ぶったり、ギブスをはめるなんて、そんなすごい人はいないだろう。
 これを書いている現在で、連載期間は途中の休載期間を合わせても、25年になるが、40巻を費やして、作品の中の時間は7年と少し(41巻の段階で、おそらく1984年)、主人公北島マヤは13歳から、やっと成人した程度である。
 どうしてこんなに時間がかかったのかというのに、もちろん後ろ10年で5巻しか刊行されていなかったことからも推察されるが、「花とゆめ」誌上での休載が非常に多かったこと、さらにマヤの演じた舞台の一つ一つに費やす時間が非常に長いということもある。
 場合によっては、「いろんな舞台の話を繰り返し繰り返しやっているだけ」としか、受け取られかねないが、考えようによっては非常に丁寧に描かれているのであって、それはいかにマヤが天才であるか、意外性を持ったキャラクターなのか、どのように認められて階段をかけあがってきたのか、ということを、作者美内がリアルに表現したかったということの表れであろうと思うし、作者の演劇好きが、その面白さを読者に伝えたかったということもあるのだろう。これだけ長い時間かけて書いているし、ちょっと現実ばなれしたスポコンのノリなので、一つの創作としては、そんな丁寧に作りこんでいる印象も受けないが、25年もかけているのに、時間軸や設定は狂っていないし、作者の演劇理論、あるいは創作作法(サクホウ)も書き込まれていて、特に演劇経験者には「ガラスの仮面」にあったけど、と引用した経験のある人もいるだろうと思う。
 マヤもただ漠然とスポコンと情熱で一つ一つこなさせられているのではなく、最初は物まねから始まり、自分で演じるということをつかんだ後、月影先生から相手と呼吸を合わせる、ということを学ばされ、あるいはテクニックで補わなければならないことなどを学んで、少しずつ成長を重ねている。たとえ天才少女でも、努力なくして永遠の名作「紅天女」を演じるに足るのではなく、舞台で相手に合わせるために与えられた人形の役を、大河ドラマに出る時に学ばされた日舞の所作を、あるいは人間ばなれした難役を、こなすことが、実は人間でない梅の木の精霊を演じるために必要なプロセスであり、一つ一つの経験の積み重ねによって始めて演じることを許されるのだという、確固とした理念の元に描かれている。
 見方を変えれば、作品の中の舞台も役も、漫然と並べられているのではなく、その最後の「紅天女」という目標のために、実は作者が丁寧に舞台や役というプロセスを選び取っているということなのだ。

 この物語は、最初、テレビドラマや映画などの「お芝居」のとりこになって、女優を目指す、というスタートであるが、今読み返してみて思うのに、そういったものに夢中になって進む道に、実は作る側と、演じる側の二つがあり、そして、マヤは後者を選んだ、ということだったように思う。
 が、実際は、優れた演じ手が、先で作り手に回るということはよくあることで、作者は特に焦点をあてていないが、高校の文化祭の時、文芸部の吉沢くんと「女海賊ヴィアンカ」を脚本に立ち上げる時、見せ場についてマヤは指示を出しているし、「二人の王女」のオーディションの時、マヤがその課題の中で7通りの役をやってのけるというエピソードが登場するが、それさえも実は、彼女が課題にはまるストーリーを作り上げているということで、女優として成長するうちに、舞台に必要な演出力や、作品制作に必要な物語の想像力さえも身につけているということも描かれている。
 が、残念なことに、あまりそういう丁寧さにも着目されていないような気がするのだ。(気付かせないからこそ名作という考え方もある。)
 作品が、リアリティを無視したようなオーバーリアクションな上に、「そこまでする?」というような内容がところどころあるために(そういう書き方であるというに過ぎないのだが…)そうでもないような印象を受けてしまうのだろう。でも、この作家は実に細かい人ではないだろうか、と私は思う。
 「花とゆめ」誌上の読者のページで、そのページには読者が本誌のマンガをパロディーして投稿するというとても恐ろしいコーナーがあるのだが、「桜小路くん、最近(髪の)ハネが目立つ…」と書かれれば、単行本ではきちんと訂正されているし、真澄さんの持っているグラスのワインの量が次のページで増えていたのは不味いからこっそり戻したとパロディーされれば、ワインの量も書きなおされている。このページでの極めつけは文章で実際あった投稿、「マヤがこんなに打ち込んできた『紅天女』が、脚本を読んでみたら、とてつもなくつまらない話だったらどうするのだろう」というもので、これは口にしないだけで誰しも一度は考えただろう、美内もそう読者に思われたらどうしようと自身で考えただろうと思う(注:「紅天女」とそれにまつわるエピソードは美内の創作)。それ故か、否か、あの、「紅天女」に近づきはじめてからの近年の、連載中止とも疑うほどの休載の数々は(その休載のおかげで掲載のチャンスを与えられた新人も数多くいるのだけれども)、本当に、作者が体調を崩しているのか、それとも、他誌で別の話を連載しているからなのか、別の仕事で忙しいのか、目標に達して書く情熱が失われてしまったのか、それは作者にしかわからない。わからないが、連載休止のみならず、30巻を超えたあたりからの書きなおしは年々度を越え、「花とゆめ」本誌連載、コミックス、そして文庫のストーリーが、まるで違ってしまっているという結果になってしまっている。
 結局は、それまでそれだけ丁寧に作りこんできたのだから、より完璧に、というこだわりが、そういう発表状態を生み出してしまっているのだろうかとも思う。
 が、私個人としては、少し読者の声に対しては、耳にふたをして、取り組んでいけばいいのではないだろうかと思う。「高いところから低いところに水が流れるように、物語が筋を運んでくれる」というようなことを言ったのは手塚治虫だそうだが、作者自身、もう一度作品を読み返してみて、物語が欲する結末を、探してみてはいかがだろうか。でないと、未完のままでは、終わらないより始末が悪いような気がする。
 最近では、作者が死ぬまで終わらないのではないか、との声まで出てきたほどである。
 「源氏物語」の「雲隠」がタイトルだけで失われてしまったのは、源氏の最後を知りたくなかった読者が、わざと逸してしまったのだ、という説があるが、これだけの名作だからこそ、ラストがないほうがいい、と考える方が正しいのだろうか。でもおそらく、読んだ人間はみんな結末を待っていることだろう。

 「ガラスの仮面」、アニメ化の時は、既読の人には不評だった。「ガラスの仮面」のタイトルの由来を毎回冒頭で言って、それでオープニングが始まるのだけど、「役者だから」ガラスの仮面をかぶるのではなく「人は」というふうに誤ったものであったし、月影千草がマヤを見出したのは、実際は子供達にお話をきかせてあげるときに、その寸劇めいたものの表情から才能を見出したのに、その部分がカットされ、「椿姫」を見たいがために奮闘したその情熱で見出されたように描かれてしまったことだった。
 確かワンクールで14、5巻分進んだように記憶しているが、とにかく早すぎた。オープニングでマヤがレオタード姿の連想からか、踊り狂っているので、「おお、踊っている」と茶化されるし、既読の人にはかなり評判が悪かったが、不思議なことに未読の人には受けていたのだ。(c)少女マンガ名作選
 それ故かその後部数も伸びつづけ、作者も認めるマヤ役安達夕実の登場によって、ドラマ化が実現された。これも既読の人で見た人は、「コスプレ大会」というほど、ぴったりのキャスティングだったそうだが、それ以上は何も上がってこなかった。レトロな設定に反して、テーマソングもかなりずれていた。それでも未読の人には評判が良かったのか、サラリーマンの方々がかなりはまったらしく、新しいファンの開拓に成功したらしい。
 ホームページのファンページをめぐっても、どう考えても30巻を越してから読み始めたファンばかりで、最初「ガラカメ」と見た時は、カメの妖怪かと思ったが、これさえ略すなど時代は変わったものだ。真澄さんがチェリーボーイかもしれないという疑惑が起こるのもわかる。その気持ちはよくわかる。でも、そんなことは、この話では考えてはいけないのだ。

 きっと、10年以上前に読んでしまった読者には、もう「ガラスの仮面」の魅力なんて忘れてしまったことだろう。
 でも、私たちの現実では生きられなかった情熱の世界を、確かに彼らはあの世界で生きていて、まだまだ読者を魅了し続けているのだ。
 マヤは、生きている。
 彼女のひたむきさが私たちに乗り移り、作品の世界へと引き込まれた。
 まるで彼らが本当に、どこか別の世界で生きていると、ふと錯覚してしまうほどに。

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