少女マンガ名作選作品リスト

担当者:咲花圭良 作成日:2002/06/09

作 品

BASARA

作 者

田村由美

コミックス

フラワーコミックス(小学館・全27巻)

初 版

1巻91/4/20 2巻7/20 3巻11/20 4巻92/4/20 5巻7/20 6巻92/10/20  7巻93/2/20 8巻7/20 9巻9/20 10巻12/20 11巻94/4/20 12巻8/20 13巻12/20  14巻95/3/20 15巻7/20 16巻11/20 17巻96/3/20 18巻7/20 19巻96/11/20  20巻97/3/20 21巻 9/20 22巻 98/2/20 23巻 7/20 24巻 9/20  25巻 99/2/20 26巻 6/20 27巻 00/3/20

初 出

別冊少女コミック 1990年9月号〜1998年6月号(注:本編)

主な登場人物:
・更紗、タタラ(更紗の双子の兄)、ナギ(予言者)、角じい、千草(更紗たちの母)、白虎の村の長老、新橋(更紗のふくろう)
・揚葉(あげは)、瓦版屋太郎ちゃん、ハヤト、茶々、座木(ざき)、朱雀の長老、雷蔵、一水(いずみ)、那智、聖、
・水の鹿、風の梟、銀の狐、岩じいさん、シラス、増永(鹿角のリーダーの一人)、多聞(鹿角のリーダーの一人)、七尾(多聞の弟)、
・朱理(しゅり)、四道(しどう・朱理のいとこ)、千手(せんじゅ・四道の妻)、求道(千手らの子)、錵山将軍(赤の王腹心)、亜相、サカキ、
・蒼の王、浅葱(蒼の王・親衛隊長)、国王・鬱金(うこん)、黒の王、紫の上(黒の王正妻)、最上(もがみ・黒の王の側室)、飛騨の市松、(紫の上家臣)、白の大姉、柊、群竹(白の大姉・浅葱に仕える四君子の一人)、菊音(同じく四君子の一人)、四大老・北の桃井、穂積(桃井息子)、廉子(穂積恋人)、四大老・萩原・橘・桜田、京の夜郎組・蜂也
・芭蕉先生、ユウナ、安里大統領、今帰仁(なきじん)、土佐の天麻、志麻(天麻の娘)

あらすじ:20世紀末に大いなる災いがあった。日本の国土は山陽地方から西側が砂漠となり、国は乱れ、一人の覇者がその乱れた国を統治した。京都を中心に国王が治める君主制となった。それから300年後、国王には15代目の鬱金(うこん)王が即位していた。近畿圏を国王が、そして東北を国王の長男である黒の王が、関東を次男の蒼の王、そして山陽・九州地方を末子の赤の王が分割して治めていた。そんな中、山陽地方の砂漠の中にある白虎の村の予言者ナギによって「この子は運命の子供・長じて人民を率い、国を救う星となろう」と予言されて生まれた双子の兄妹・タタラと更紗は12歳になり、タタラは元服式を迎えようとしていた。運命の少年と呼ばれるタタラと違って、女の子であるために全く重んじられない更紗は、宝刀白虎の刀を触ろうとして父親になぐられ、元服式に沸く村を飛び出した。
 砂漠の中、追ってきた角じいから逃れようとした更紗は赤の王の隊列に鉢合わせた。そこで赤の王に手打ちにされるところ、角じいがかばって打たれたが、砂漠の青の貴族と呼ばれる一族の揚葉(あげは)という人物に救われる。揚葉は片目を失うことで更紗を救ったのだった。
 揚葉は更紗が運命の子供かと勘違いした。そして彼は、運命の子供に期待しているものは国中にいたるところにいると告げて去った。
 村に戻ると、さっき出会った赤の王の隊列は、白虎の村を襲いにきたのだった。タタラを殺しにきたのだが、身代わりに更紗の幼馴染が殺される。それを見て、更紗はタタラを助けることを心に誓うのだった。
 3年後、15になったタタラと更紗。しかしある夜、またしても赤の王の軍に襲われる。そこで、赤の王の将軍錵山(かざん)にタタラは首を討ち取られてしまった。
 動揺する村人を救うために、更紗はとっさに髪を切り落とし、討たれたのは更紗のほうで、自分がタタラだと名乗る。村人と間一髪ぬけ出した更紗は、タタラが生きている証を示すため、居合わせた揚葉の助けを借りて、敵に奪われた白虎の刀を取りにいく。
 1000頭の牛を使って白虎の刀を取り返す奇策に出るものの、更紗は赤の王に弓で撃たれ負傷、傷を癒す。揚葉に5キロさきに傷にきくという温泉があるときき、更紗は一人ででかけるが、温泉場では馬の湯治にきた一人の少年にであった。少年の名は朱理。大胆で豪胆な彼だったが、しかし更紗も負けてはいなかった。そして翌日も同じ場所で更紗に出会うのだが、少年は更紗に、俺とこないか、これ以上ないというくらいの贅沢をさせてやるという。更紗は更紗で、家族の仇を討たなければいけないといい、二人はその場は別れる。(C)咲花圭良
 この朱理こそが赤の王であり、更紗こそが後の朱理の宿敵になるタタラ本人なのだが、それぞれがそれぞれの正体を知らずに別れるのであった。

 さて、更紗はとらわれた仲間を奪還するため、赤の王の軍の隊列を狙う計画を立てる。その津山への道すがら、またしても井戸で朱理と出会うのだが、今度は彼にお守りをもらった。植物の種が入っているもので、親友にもらったものだという。二人はそのときは、そのまま別れた。
 そして津山峡谷に向かう更紗一向。しかし、気持ちがはやる更紗は、目の前に現れた赤の王の影武者に襲いかかり、危機に直面する。間一髪で祖父である長老に助けられるが、長老は命を落とし、朱雀の刀を持つ一族に櫻島まで会いに行けと遺言を残す。白虎の刀は、玄武、青龍、そして朱雀の四刀の一つであり、王朝に逆らった遠い祖先が、再び国を救うために結集しようと誓いあって刀を持った四人の仲間が、全国にちりじりになった、その一本であるという。結集すれば、強大な力になるだろう、刀の持ち主を探せという長老の言葉にしたがって、まず居場所がわかっている朱雀の持ち主がいるという九州をめざし、単身出発する更紗だったが…。

コメント:本編の連載は8年かかって完結された。
 でも私は休日を使って3日で読んでしまった。
 近頃あまりに乾いていて、ごくごくとやってしまったのだ。
 8年かかって読んだ方々にはたいへん申し訳ないが、一気読みはたいそううまかった。
 いやいや、本当に申し訳ない。
 どうもごちそうさま。

 それにしても読んでいて、日本を舞台にして、登場人物たちの名前や地名が日本名のせいだろうか、どうしても今の日本と比べてしまう。主要登場人物たちは、15、16、今の高校生と同じ年頃なのだ。もちろん比べてはいけないのはわかっているが、今の日本の高校生がこんなに熱いだろうか。まぶしいだろうか。輝いているだろうか。
 輝いている、というにも輝き方があると思うが、少なくとも自分で国を変えてやろうなどという大それたことを常識的な頭で考える高校生はいないだろう。それ以前に死と隣り合わせで生きることもない、明日の食べ物のことを考えたりすることだってない。結局は、豊かな平和な国におかれた人たちに、それだけのことを要求するほうが間違えているのだが、自分が、自分の意志で、熱く語り、動く、そういうところは、今の若者も少しは、見習ってもいいのではないか、実践してもいいのではないかと思えた。
 このレビューを書いている現在は、小泉純一郎首相が日本を変えるといって政治を動かしている最中である。私はこの内閣を見、この内閣を見る国民を見るにつけ思うことには、本当に、改革というのは、革命というのは、何かを「壊す」ことであり、小さな人の集まりをこせこせと調整していくことでもないし、また、それに力を貸すというのは、上の指導力を当てにしてただ「待っている」ことではないのだということだが、今回この作品を読んでいて、改めてそんなふうに思った。
 そして、そんなふうなことをいちいち考えてしまうほど、この作品の中には随所にメッセージがある。おそらく作品の中で生まれた大義名分でありながら、どこかに読んでいる人を動かすような力があるのは、書いている本人がまた、今の世間を見、自身も生きながら、それが無意識に作品の中に反映されているからかもしれない。
 往々にしてものを創るものには、よくあることである。
 
 しかし、この作品も始めから国を変えるという大義名分を掲げてスタートしたわけではなかった。最初は、自分の肉親を殺された更紗の復讐であり、村人の奪還、という小さな動機から始まる。この小さな動機から、話が進むにしたがって、国を変えるという大きな動機につながっていくのであるが、この作品がただの国盗りゲームに終始していないのは、まず、そうした個人の小さな感情から、国の隅々を見るうちに「変えなければいけない」という意志の萌芽があるというところにあるだろう。そして、変えていく途中でたくさんの「部下」ではなく、助け手ともいえる「仲間」との出会いがあり、その助け手たちの戦いへの参加は、いつも契約でも、利益でもなく、人を認め友情で結ばれていくという、いわゆる人間本位に進む、きわめて個人的な感情のやりとりなために、とても説得力があり、しかも説得力を必要とされる展開の端々では、人を動かすセリフや行動があるから、読んでいる側はかなり泣かされる。
 人を動かす力というのは、いつも感情や感動がともなうものなのだ。そこにドラマがなければ、何も動かされはしないし、ドラマというのは、そういうところから生まれてくるものなのだ。ドラマという「筋書き」が感動を生むのではない。感動があるからこそ、ドラマなのだ。
 そういう意味で、最後の国盗りが成されるか否かに関わらず、かなり「ドラマティック」な作品である。

 ストーリー自体、つまり筋書き自体は、実は割りとよくあるパターンというか、こういう系統の作家なら、誰でも一度は考えそうなストーリーなのだ。おそらく類型をさがせば、いくつか出てくるはずだし、始めの方を読んでいるうちは、似たような系統の作家でまだ書いていなければ「やられた」と思うだろう。しかも、割とどこにでもいそうな、でも出自とか運命とか、ちょっとだけ特別な少女が、ハンサムボーイに囲まれて、やがて成長の果てに大きなことを成し遂げる、というのも、比較的考えやすい人物設定ではある。だから、4、5巻を読んでいるうちは、「この男装のタタラを名乗る更紗が国王を倒して新しい国を作るまでの話ね。」とたかをくくるのであるが、途中からそんなストーリーやオチは、段々二の次三の次になってきて、その「展開の仕方」の方に興味が出てくるようになってくる。要するに、次へとどう話をつなげていくか、次はどんな面白いことが出てくるのか、どんな感動的なことが出てくるのか、そんなほうに話の興味がひきつけられていくのだ。
 中でも、敵同士でありながら、お互いの身分を知らずに出会って恋に落ちる更紗と赤の王朱理のストーリーは、もっともひきつけられる味付けでないかと思う。少年マンガならこの辺りはかなりなおざりになってしまうのではないだろうか(というか、少年マンガでこれだけ自主性のあるたくましい少女が描ききれるか、というのが最大の疑問なのだが)。また、こういう恋の展開として、少女マンガでもありがちな、他に浮気相手が現れるとか、陵辱されるとかあるだのが、この話には当事者にそういういやらしいエピソードがないぶん、気持ちがいい。まあこれだけ死と向かい合わせな状況の中で、恋愛が純粋でなければ、矛盾してしまうというのも実際だろうが。
 そして、この恋を踏まえた、仇である国王の子、朱理とのラストと、国王を倒すというラストと、二つの相容れないはずの設定も、何かすごい犠牲の果てになるのではないか、と思うのだが、実際ある程度の犠牲はあるものの、水が下に落ちるようにスルリと無理なく展開させていて、後味よくまとめられている。
 ただし、途中の展開は端々の感動の分、重い箇所もあるから、それは覚悟したほうがいい。

 難をいえば、都合よすぎないか? という展開も、実はないでもないのだ。ただ、端々の重さと駆け引きしたなら、その都合のよさも許されてよいだろう。というか、それがないと救われない。もう一つ気になることに、連絡を伝える鳥が、そんなに早くかしこく飛べるのかい、ということなのだが、これもまあ、気にしないほうが幸せだろう。(C)少女マンガ名作選
 登場人物の数はかなり多い。でも、その多さも気にならない。それぞれに個性的で面白い。真面目な人物の中でギャグキャラが活きるのも、なかなか清涼剤の役目をしていてうれしい。中でも一番の魅力は浅葱ではないかと思う。浅葱を中心として、個人のアイデンティティについて語られる部分も面白い。運命の子供として生まれた更紗(タタラ)と朱理も、決して運命に翻弄されることなく、自分の意志で決め、自分の意志で行動していく。運命は決して、決められた未来ではないということだ。掴み取っていく果てに、そうなる運命があることを知る。「運命の子供」といった予言者ナギは、決して最後まで口をさしはさまない。可能性をもって生まれた子供、可能性の中に生き、最後に奇跡を成し遂げれば、それこそが運命であり、予言者はその「時」を見て予言する、それだけなのだ。
 最初から、特別ではなかった。闘いの果てにこそ、「運命」はあるのだ。歴史上の人物も、すべてそうなのだ。何かを成し遂げるのは、いつも、世界と闘いながら、自分と闘う人である。確かに素質もあるが、才能や、天から与えられたもので、すべてが決まるわけではない。
 
 闘え、闘え、闘え―――と、ずっと作品の中から叫び声がきこえるようだ。
 その声は、誰かとの闘いでもなく、自分との闘いである。
 考え、駆けて、自分の信じるままに―――
 読み終えて、いっぱいに充たされました、心が。
 どうもごちそうさま。

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